1952年、タイ国王・ラーマ9世とシリキット王妃の長男(第2子)として王宮で生まれました。幼少期はバンコクで学びましたが、1966年からイギリスへ渡り、キングスミード校およびミルフォード校(サマーセット)で学びました。1970年にはオーストラリアに渡り、キングス校(シドニー)で陸軍予科課程を修めました。1972年には皇太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン(สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร)を父王より付与され、王位継承権を得ました。
1972年には王太子としての名称、ソムデットプラボーロマオーラサーティラートチャオファー・マハーワチラーロンコーン・サヤームマクットラーチャクマーン(สมเด็จพระบรมโอรสาธิราช เจ้าฟ้ามหาวชิราลงกรณ สยามมกุฏราชกุมาร)を父王より付与され、王位継承権を得ました。
1972年には再びオーストラリアに渡りダントルーン陸軍士官学校(キャンベラ)で学ぶ傍ら、スコータイ・タンマティラート大学(タイ語版、英語版)で人文学を修めました。1975年に帰国し、タイ王国陸軍の頭脳として陸軍内での役職が与えられましたが、翌年1月から再びオーストラリアに渡り8か月間軍事を学びました。1978年にはラーマ9世の親衛隊として働きましたが、同年にはタイの仏教の伝統に従い、一時的に職を辞して出家しました。この後、アメリカ軍・イギリス軍・オーストラリア軍などとの共同軍事演習などを指揮し、軍部との繋がりを非常に強めた。1989年には、昭和天皇の大喪の礼などの公務にも参加しました。
2016年10月13日、父王・ラーマ9世の崩御を受け、プラユット・チャンオチャ首相が「ワチラーロンコーン王太子が新国王に即位する」ことを発表しました。ただし、「弔いと決意を固める時間が欲しい」との理由で、当面は即位しない意向を示したため、すぐに議会において、国王即位の承認手続きは行われなかった事情もあります。
11月29日には、内閣によるワチラーロンコーン王太子の国王即位要請が議会によって承認され、12月1日、暫定議会議長による即位要請を受けこれを受諾、ラーマ10世としてタイ王国新国王に即位しました。
2016年12月の国民投票で新憲法案が承認されましたが、ラーマ10世国王は署名を拒否し、一部の条文の修正を要求するという異例の対応をりました。その後、2017年4月になって、ようやく国王の権限が強められたと解釈できる新憲法に署名し、憲法は施行されました。
2017年3月5日には、第二次世界大戦の戦没者慰霊のためにベトナムへの国際親善訪問をしていた当時の天皇陛下明仁様と皇后美智子様が、ラーマ9世の弔問のためタイの首都バンコクに立ち寄っり会見しました。その際、ラーマ10世新国王側の意向で通訳を介さず、3人のみで会話に臨んだことも知られています。
即位後は王妃とともにドイツに一時滞在しました。2017年6月10日にはミュンヘン郊外をサイクリング中に、ドイツ人の10代前半の少年2人よりエアソフトガンを用いてプラスチック製BB弾で狙撃されるという事件が発生しました。弾はワチラーロンコーンには当たらず、タイ国内で大々的に報道されることもありませんでした。2020年3月には2019新型コロナウイルス感染防止のための避難に伴い愛人である20人の女性を連れて全室を貸し切ったバイエルンのアルプスを一望できるホテルにて、側近数百人とともに隔離生活を送っていたとされています。
また折を見て本国にも還御しており、2020年8月には母シリキット王太后の88歳の誕生日を祝うため24時間未満という短時間ながらタイに一時帰国しました。10月10日にはドイツ連邦議会におけるハイコ・マース外相の答弁の中で、ワチラーロンコーン国王はドイツの地からタイを統治するのをやめるよう苦言を呈されました。10月以降は国内にとどまり、王室改革を求める異例のデモが続く中、イメージ回復のためとみられる動きを強めました。その後、2021年11月8日に息子の滞在するドイツへと出国しましたが、1年余りのタイ滞在は異例の長期国内滞在とされました。
全世界の31名の君主の中でも「世界一裕福な王」として知られ、米エグゼクティブ向け雑誌によれば資産は430億ドル(約4.6兆円)で、イギリスのエリザベス2世女王の80倍とされています。2022年現在は、国内のドゥシット宮殿に滞在しており頻繁に公務もしています。 |