ボーロマピマーン宮殿で銃声がしたので駆けつけてみると、ラーマ8世は死んでいた、といわれています。そのまま銃の暴発事故で片づけられそうになったが、警察が検死結果を元に他殺説を示唆しました。ラーマ8世死亡事件捜査本部が設置されたものの結局それ以上の捜査は続けられず、責任をとって内閣は総辞職し、数人の王室関係者が処刑されました。後にこの事件に関してラーマ9世の協力の下で調査した小説家でジャーナリストでもあるウィリアム・スティーブンソンはその著作・ 「革命の王 (原題: The Revolutionary King )」で証拠を提示し、旧日本軍の参謀・辻政信による犯行の可能性が高いと示唆しました。しかしながら辻政信の記録、『潜行三千里』によれば辻は1945年にタイを脱出しており、1946年6月9日は中国にいたことから、わざわざバンコクまで戻りラーマ8世を暗殺するのは不自然であるともいえます。 真相は未だもって不明。不敬罪に抵触する可能性があるので、タイではこの問題に深入りすることが今なおタブーとなっています。